一般小说 太宰治 走れメロス.docx
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一般小说太宰治走れメロス
目次
富《ふ》嶽《がく》百景
懶《らん》惰《だ》の歌《か》留《る》多《た》
八十八夜
畜《ちく》犬《けん》談《だん》
おしゃれ童子
俗天使
駈《かけ》込《こ》み訴え
老《アルト》ハイデルベルヒ
走れメロス
東京八景
富《ふ》嶽《がく》百景
富士の頂角、広《ひろ》重《しげ》の富士は八十五度、文《ぶん》晁《ちよう》の富士も八十四度くらい、けれども、陸軍の実測図によって東西および南北に断面図を作ってみると、東西縦断は頂角、百二十四度となり、南北は百十七度である。
広重、文晁に限らず、たいていの絵の富士は、鋭角である。
いただきが、細く、高く、華《きや》奢《しや》である。
北《ほく》斎《さい》にいたっては、その頂角、ほとんど三十度くらい、エッフェル鉄塔のような富士をさえ描いている。
けれども、実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと拡がり、東西、百二十四度、南北は百十七度、決して、秀《しゆう》抜《ばつ》の、すらと高い山ではない。
たとえば私が、インドかどこかの国から、突然、鷲《わし》にさらわれ、すとんと日本の沼《ぬま》津《づ》あたりの海岸に落とされて、ふと、この山を見つけても、そんなに驚嘆しないだろう。
ニッポンのフジヤマを、あらかじめ憧《あこが》れているからこそ、ワンダフルなのであって、そうでなくて、そのような俗な宣伝を、一さい知らず、素《そ》朴《ぼく》な、純粋の、うつろな心に、はたして、どれだけ訴え得るか、そのことになると、多少、心細い山である。
低い。
裾《すそ》のひろがっている割に、低い。
あれくらいの裾を持っている山ならば、少なくとも、もう一・五倍、高くなければいけない。
十《じつ》国《こく》峠《とうげ》から見た富士だけは、高かった。
あれは、よかった。
はじめ、雲のために、いただきが見えず、私は、その裾《すそ》の勾《こう》配《ばい》から判断して、たぶん、あそこあたりが、いただきであろうと、雲の一点にしるしをつけて、そのうちに、雲が切れて、見ると、ちがった。
私が、あらかじめ印《しるし》をつけて置いたところより、その倍も高いところに、青い頂《いただ》きが、すっと見えた。
おどろいた、というよりも私は、へんにくすぐったく、げらげら笑った。
やっていやがる、と思った。
人は、完全のたのもしさに接すると、まず、だらしなくげらげら笑うものらしい。
全身のネジが、他《た》愛《あい》なくゆるんで、これはおかしな言いかたであるが、帯《おび》紐《ひも》といて笑うといったような感じである。
諸君が、もし恋人と逢《あ》って、逢ったとたんに、恋人がげらげら笑い出したら、慶《けい》祝《しゆく》である。
必ず、恋人の非《ひ》礼《れい》をとがめてはならぬ。
恋人は、君に逢って、君の完全のたのもしさを、全身に浴びているのだ。
東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい。
冬には、はっきり、よく見える。
小さい、真っ白い三《さん》角《かく》が、地平線にちょこんと出ていて、それが富士だ。
なんのことはない、クリスマスの飾り菓子である。
しかも左のほうに、肩が傾いて心細く、船《せん》尾《び》のほうからだんだん沈没しかけてゆく軍艦の姿に似ている。
三年まえの冬、私はある人から、意外の事実を打ち明けられ、途《と》方《ほう》に暮れた。
その夜、アパートの一室で、ひとりで、がぶがぶ酒のんだ。
一睡もせず、酒のんだ。
あかつき、小《こ》用《よう》に立って、アパートの便所の金網張られた四角い窓から、富士が見えた。
小さく、真っ白で、左のほうにちょっと傾いて、あの富士を忘れない。
窓の下のアスファルト路を、さかなやの自転車が疾《しつ》駆《く》し、おう、けさは、やけに富士がはっきり見えるじゃねえか、めっぽう寒いや、など呟《つぶや》きのこして、私は、暗い便所の中に立ちつくし、窓の金網撫《な》でながら、じめじめ泣いて、あんな思いは、二度と繰りかえしたくない。
昭和十三年の初秋、思をあらたにする覚悟で、私は、かばんひとつさげて旅に出た。
甲《こう》州《しゆう》。
ここの山々の特徴は、山々の起伏の線の、へんに虚《むな》しい、なだらかさにある。
小《こ》島《じま》烏《う》水《すい》という人の日本山水論にも、「山の拗《す》ね者は多く、この土《ど》に仙《せん》遊《ゆう》するがごとし」とあった。
甲州の山々は、あるいは山の、げてものなのかも知れない。
私は、甲《こう》府《ふ》市からバスにゆられて一時間。
御《み》坂《さか》峠《とうげ》へたどりつく。
御坂峠、海抜千三百メートル。
この峠の頂上に、天下茶屋という、小さい茶店があって、井《い》伏《ぶせ》鱒《ます》二《じ》氏が初夏のころから、ここの二階に、こもって仕事をしておられる。
私は、それを知ってここへ来た。
井伏氏のお仕事の邪魔にならないようなら、隣室でも借りて、私も、しばらくそこで仙遊しようと思っていた。
井伏氏は、仕事をしておられた。
私は、井伏氏のゆるしを得て、当分その茶屋に落ちつくことになって、それから、毎日、いやでも富士と真正面から、向き合っていなければならなくなった。
この峠は、甲府から東海道に出る鎌《かま》倉《くら》往《おう》還《かん》の衝《しよう》に当たっていて、北面富士の代表観望台であると言われ、ここから見た富士は、むかしから富士三景の一つにかぞえられているのだそうであるが、私は、あまり好かなかった。
好かないばかりか、軽《けい》蔑《べつ》さえした。
あまりに、おあつらいむきの富士である。
まんなかに富士があって、その下に河《かわ》口《ぐち》湖が白く寒々とひろがり、近景の山々がその両《りよう》袖《そで》にひっそり蹲《うずくま》って湖を抱きかかえるようにしている。
私は、ひとめ見て、狼《ろう》狽《ばい》し、顔を赤らめた。
これは、まるで、風呂屋のペンキ画だ。
芝居の書《かき》割《わり》だ。
どうにも註《ちゆう》文《もん》どおりの景色で、私は、恥ずかしくてならなかった。
私が、その峠の茶屋へ来て二、三日経って、井伏氏の仕事も一段落ついて、ある晴れた午後、私たちは三《み》ツ《つ》峠《とうげ》へのぼった。
三ツ峠、海抜千七百メートル。
御坂峠より、少し高い。
急坂を這《は》うようにしてよじ登り、一時間ほどにして三ツ峠頂上に達する。
蔦《つた》かずら掻《か》きわけて、細い山路、這うようにしてよじ登る私の姿は、決して見よいものではなかった。
井伏氏は、ちゃんと登山服着ておられて、軽快の姿であったが、私には登山服の持ち合わせがなく、ドテラ姿であった。
茶屋のドテラは短く、私の毛《け》臑《ずね》は、一尺以上も露出して、しかもそれに茶屋の老爺《ろうや》から借りたゴム底の地《じ》下《か》足《た》袋《び》をはいたので、われながらむさ苦しく、少し工夫して、角帯をしめ、茶店の壁にかかっていた古い麦《むぎ》藁《わら》帽《ぼう》をかぶってみたのであるが、いよいよ変で、井伏氏は、人のなりふりを決して軽《けい》蔑《べつ》しない人であるが、このときだけはさすがに少し、気の毒そうな顔をして、男は、しかし、身なりなんか気にしないほうがいい、と小声で呟《つぶや》いて私をいたわってくれたのを、私は忘れない。
とかくして頂上についたのであるが、急に濃い霧が吹き流れて来て、頂上のパノラマ台という、断《だん》崖《がい》の縁《へり》に立ってみても、いっこうに眺《ちよう》望《ぼう》がきかない。
何も見えない。
井伏氏は、濃い霧の底、岩に腰をおろし、ゆっくり煙草を吸いながら、放《ほう》屁《ひ》なされた。
いかにも、つまらなそうであった。
パノラマ台には、茶店が三軒ならんで立っている。
そのうちの一軒、老爺と老《ろう》婆《ば》と二人きりで経営しているじみな一軒を選んで、そこで熱い茶を呑《の》んだ。
茶店の老婆は気の毒がり、ほんとうにあいにくの霧で、もう少し経ったら霧もはれると思いますが、富士は、ほんのすぐそこに、くっきり見えます、と言い、茶店の奥から富士の大きい写真を持ち出し、崖《がけ》の端に立ってその写真を両手で高く掲示して、ちょうどこの辺に、このとおりに、こんなに大きく、こんなにはっきり、このとおりに見えます、と懸命に註《ちゆう》釈《しやく》するのである。
私たちは、番茶をすすりながら、その富士を眺《なが》めて、笑った。
いい富士を見た。
霧の深いのを、残念にも思わなかった。
その翌々日であったろうか、井伏氏は、御坂峠を引きあげることになって、私も甲府までおともした。
甲府で私は、ある娘さんと見合いすることになっていた。
井伏氏に連れられて甲府のまちはずれの、その娘さんのお家へお伺《うかが》いした。
井伏氏は、無雑作な登山服姿である。
私は、角帯に、夏羽織を着ていた。
娘さんの家のお庭には、薔《ば》薇《ら》がたくさん植えられていた。
母堂に迎えられて客間に通され、挨《あい》拶《さつ》して、そのうちに娘さんも出て来て、私は、娘さんの顔を見なかった。
井伏氏と母堂とは、おとな同士の、よもやまの話をして、ふと、井伏氏が、
「おや、富士」と呟《つぶや》いて、私の背後の長押《なげし》を見あげた。
私も、からだを捻《ね》じ曲げて、うしろの長押を見上げた。
富士山頂大噴火口の鳥《ちよう》瞰《かん》写真が、額縁にいれられて、かけられていた。
まっしろい睡《すい》蓮《れん》の花に似ていた。
私は、それを見とどけ、また、ゆっくりからだを捻じ戻すとき、娘さんを、ちらと見た。
きめた。
多少の困難があっても、このひとと結婚したいものだと思った。
あの富士は、ありがたかった。
井伏氏は、その日に帰京なされ、私は、ふたたび御坂にひきかえした。
それから、九月、十月、十一月の十五日まで、御坂の茶屋の二階で、少しずつ、少しずつ、仕事をすすめ、あまり好かないこの「富士三景の一つ」と、へたばるほど対談した。
いちど、大笑いしたことがあった。
大学の講師か何かやっている浪《ろう》漫《まん》派《は》の一友人が、ハイキングの途中、私の宿に立ち寄って、そのときに、ふたり二階の廊下に出て、富士を見ながら、
「どうも俗だねえ、お富士さん、という感じじゃないか」
「見ているほうで、かえって、てれるね」
などと生意気なこと言って、煙草をふかし、そのうちに、友人は、ふと、
「おや、あの僧《そう》形《ぎよう》のものは、なんだね?
」と顎《あご》でしゃくった。
墨《すみ》染《ぞめ》の破れたころもを身にまとい、長い杖《つえ》を引きずり、富士を振り仰ぎ振り仰ぎ、峠をのぼって来る五十歳ぐらいの小男がある。
「富士見西《さい》行《ぎよう》、といったところだね。
かたちが、できてる」私は、その僧をなつかしく思った。
「いずれ、名のある聖僧かも知れないね」
「ばか言うなよ。
乞食《こじき》だよ」友人は、冷淡だった。
「いや、いや。
脱俗しているところがあるよ。
歩きかたなんか、なかなか、できてるじゃないか。
むかし、能《のう》因《いん》法師が、この峠で富士をほめた歌を作ったそうだが、――」
私が言っているうちに友人は、笑い出した。
「おい、見給え。
できてないよ」
能因法師は、茶店のハチという飼犬に吠《ほ》えられて、周《しゆう》章《しよう》狼《ろう》狽《ばい》であった。
その有様は、いやになるほど、みっともなかった。
「だめだねえ。
やっぱり」私は、がっかりした。
乞食の狼狽は、むしろ、あさましいほどに右往左往、ついには杖をかなぐり捨て、取り乱し、取り乱し、いまはかなわずと退散した。
実に、それは、できてなかった。
富士も俗なら、法師も俗だ、ということになって、いま思い出しても、ばかばかしい。
新《につ》田《た》という二十五歳の温厚な青年が、峠を降りきった岳《がく》麓《ろく》の吉《よし》田《だ》という細長い町の、郵便局につとめていて、そのひとが、郵便物によって、私がここに来ていることを知った、と言って、峠の茶屋をたずねて来た。
二階の私の部屋で、しばらく話をして、ようやく馴れて来たころ、新田は笑いながら、実は、もう、二、三人、僕の仲間がありまして、皆で一緒にお邪魔にあがるつもりだったのですが、いざとなると、どうも皆、しりごみしまして、太宰さんは、ひどいデカダンで、それに、性格破産者だ、と佐《さ》藤《とう》春《はる》夫《お》先生の小説に書いてございましたし、まさか、こんなまじめな、ちゃんとしたお方だとは、思いませんでしたから、僕も、無理に皆を連れて来るわけには、いきませんでした。
こんどは、皆を連れて来ます。
かまいませんでしょうか。
「それは、かまいませんけれど」私は、苦笑していた。
「それでは、君は、必死の勇をふるって、君の仲間を代表して僕を偵察に来たわけですね」
「決死隊でした」新田は、率直だった。
「ゆうべも、佐藤先生のあの小説を、もういちど繰りかえして読んで、いろいろ覚悟をきめて来ました」
私は、部屋のガラス戸越しに、富士を見ていた。
富士は、のっそり黙って立っていた。
偉いなあ、と思った。
「いいねえ。
富士は、やっぱり、いいとこあるねえ。
よくやってるなあ」富士には、かなわないと思った。
念々と動く自分の愛憎が恥ずかしく、富士は、やっぱり偉い、と思った。
よくやってる、と思った。
「よくやっていますか」新田には、私の言葉がおかしかったらしく、聡《そう》明《めい》に笑っていた。
新田は、それから、いろいろな青年を連れて来た。
皆、静かなひとである。
皆は、私を、先生、と呼んだ。
私はまじめにそれを受けた。
私には、誇るべき何もない。
学問もない。
才能もない。
肉体よごれて、心もまずしい。
けれども、苦悩だけは、その青年たちに、先生と言われて、だまってそれを受けていいくらいの、苦悩は、経て来た。
たったそれだけ。
藁《わら》一すじの自負である。
けれども、私は、この自負だけは、はっきり持っていたいと思っている。
わがままな駄《だ》々《だ》っ子のように言われて来た私の、裏の苦悩を、一たい幾人知っていたろう。
新田と、それから田《た》辺《なべ》という短歌の上手な青年と、二人は、井伏氏の読者であって、その安心もあって、私は、この二人と一ばん仲良くなった。
いちど吉田に連れていってもらった。
おそろしく細長い町であった。
岳《がく》麓《ろく》の感じがあった。
富士に、日も、風もさえぎられて、ひょろひょろに伸びた茎のようで、暗く、うすら寒い感じの町であった。
道路に沿って清水が流れている。
これは、岳麓の町の特徴らしく、三《み》島《しま》でも、こんなぐあいに、町じゅうを清水が、どんどん流れている。
富士の雪が溶けて流れて来るのだ、とその地方の人たちが、まじめに信じている。
吉田の水は、三島の水に較べると、水量も不足だし、汚《きたな》い。
水を眺《なが》めながら、私は話した。
「モウパスサンの小説に、どこかの令嬢が、貴公子のところへ毎晩、河を泳いで逢《あ》いにいったと書いてあったが、着物は、どうしたのだろうね。
まさか、裸ではなかろう」
「そうですね」青年たちも、考えた。
「海水着じゃないでしょうか」
「頭の上に着物を載せて、むすびつけて、そうして泳いでいったのかな?
」
青年たちは、笑った。
「それとも、着物のままはいってずぶ濡《ぬ》れの姿で貴公子と逢って、ふたりでストーヴでかわかしたのかな?
そうすると、かえるときには、どうするだろう。
せっかく、かわかした着物を、またずぶ濡れにして、泳がなければいけない。
心配だね。
貴公子のほうで泳いで来ればいいのに。
男なら、猿《さる》股《また》一つで泳いでも、そんなにみっともなくないからね。
貴公子、鉄槌《かなづち》だったのかな?
」
「いや、令嬢のほうで、たくさん惚《ほ》れていたからだと思います」新田は、まじめだった。
「そうかも知れないね。
外国の物語の令嬢は、勇敢で、可愛《かわい》いね。
好きだとなったら、河を泳いでまで逢いに行くんだからな。
日本では、そうはいかない。
なんとかいう芝居があるじゃないか。
まんなかに川が流れて、両方の岸で男と姫君とが、愁《しゆう》嘆《たん》している芝居が。
あんなとき、何も姫君、愁嘆する必要がない。
泳いでゆけば、どんなものだろう。
芝居で見ると、とても狭い川なんだ。
じゃぶじゃぶ渡っていったら、どんなもんだろう。
あんな愁嘆なんて、意味ないね。
同情しないよ。
朝顔の大井川は、あれは大水で、それに朝顔は、めくらの身なんだし、あれには多少、同情するが、けれども、あれだって、泳いで泳げないことはない。
大井川の棒《ぼう》杭《ぐい》にしがみついて、天《てん》道《どう》さまを、うらんでいたんじゃ、意味ないよ。
あ、ひとりあるよ。
日本にも、勇敢なやつが、ひとりあったぞ。
あいつは、すごい。
知ってるかい?
」
「ありますか」青年たちも、眼を輝かせた。
清《きよ》姫《ひめ》。
安《あん》珍《ちん》を追いかけて、日《ひ》高《だか》川を泳いだ。
泳ぎまくった。
あいつは、すごい。
ものの本によると、清姫は、あのとき十四だったんだってね」
路を歩きながら、ばかな話をして、まちはずれの田辺の知合いらしい、ひっそり古い宿屋に着いた。
そこで飲んで、その夜の富士がよかった。
夜の十時ごろ、青年たちは、私ひとりを宿に残して、おのおの家へ帰っていった。
私は、眠れず、どてら姿で、外へ出てみた。
おそろしく、明るい月夜だった。
富士が、よかった。
月光を受けて、青く透きとおるようで、私は狐《きつね》に化かされているような気がした。
富士が、したたるように青いのだ。
燐《りん》が燃えているような感じだった。
鬼火。
狐火。
ほたる。
すすき。
葛《くず》の葉。
私は、足のないような気持で、夜道を、まっすぐに歩いた。
下《げ》駄《た》の音だけが、自分のものでないように、他の生きもののように、からんころんからんころん、とても澄んで響く。
そっと、振りむくと、富士がある。
青く燃えて空に浮かんでいる。
私は溜《ため》息《いき》をつく。
維新の志士。
鞍《くら》馬《ま》天《てん》狗《ぐ》。
私は、自分を、それだと思った。
ちょっと気取って、ふところ手して歩いた。
ずいぶん自分が、いい男のように思われた。
ずいぶん歩いた。
財布を落とした。
五十銭銀貨が二十枚くらいはいっていたので、重すぎて、それで懐《ふところ》からするっと脱け落ちたのだろう。
私は、不思議に平気だった。
金がなかったら、御坂まで歩いてかえればいい。
そのまま歩いた。
ふと、いま来た路を、そのとおりに、もういちど歩けば、財布はある、ということに気がついた。
懐《ふところ》手《で》のまま、ぶらぶら引きかえした。
富士。
月夜。
維新の志士。
財布を落とした。
興あるロマンスだと思った。
財布は路のまんなかに光っていた。
あるにきまっている。
私は、それを拾って、宿へ帰って、寝た。
富士に、化かされたのである。
私は、あの夜、阿《あ》呆《ほう》であった。
完全に、無意志であった。
あの夜のことを、いま思い出しても、へんに、だるい。
吉田に一泊して、あくる日、御坂へ帰って来たら、茶店のおかみさんは、にやにや笑って、十五の娘さんは、つんとしていた。
私は、不潔なことをして来たのではないということを、それとなく知らせたく、きのう一日の行動を、聞かれもしないのに、ひとりでこまかに言いたてた。
泊まった宿屋の名前、吉田のお酒の味、月夜富士、財布を落としたこと、みんな言った。
娘さんも、機《き》嫌《げん》が直った。
「お客さん!
起きて見よ!
」かん高い声である朝、茶店の外で、娘さんが絶叫したので、私は、しぶしぶ起きて、廊下へ出て見た。
娘さんは、興奮して頬《ほお》をまっかにしていた。
だまって空を指さした。
見ると、雪。
はっと思った。
富士に雪が降ったのだ。
山頂が、まっしろに、光りかがやいていた。
御坂の富士も、ばかにできないぞと思った。
「いいね」
とほめてやると、娘さんは得意そうに、
「すばらしいでしょう?
」といい言葉使って、「御坂の富士は、これでも、だめ?
」としゃがんで言った。
私が、かねがね、こんな富士は俗でだめだ、と教えていたので、娘さんは、内心しょげていたのかも知れない。
「やはり、富士は、雪が降らなければ、だめなものだ」もっともらしい顔をして、私は、そう教えなおした。
私は、どてら着て山を歩きまわって、月見草の種を両の手のひらに一ぱいとって来て、それを茶店の背《せ》戸《ど》に播《ま》いてやって、
「いいかい、これは僕の月見草だからね、来年また来て見るのだからね、ここへお洗《せん》濯《たく》の水なんか捨てちゃいけないよ」娘さんは、うなずいた。
ことさらに、月見草を選んだわけは、富士には月見草がよく似合うと、思い込んだ事情があったからである。
御坂峠のその茶店は、いわば山中の一軒家であるから、郵便物は、配達されない。
峠の頂上から、バスで三十分ほどゆられて峠の麓《ふもと》、河口湖畔の、河口村という文字通りの寒村にたどり着くのであるが、その河口村の郵便局に、私宛《あて》の郵便物が留め置かれて、私は三日に一度くらいの割で、その郵便物を受け取りに出かけなければならない。
天気の良い日を選んで行く。
ここのバスの女車掌は、遊覧客のために、格別風景の説明をしてくれない。
それでもときどき、思い出したように、はなはだ散文的な口調で、あれが三ツ峠、向こうが河口湖、わかさぎという魚《さかな》がいます、など、物憂《う》そうな、呟《つぶや》きに似た説明をして聞かせることもある。
河口局から郵便物を受け取り、またバスにゆられて峠の茶店に引返す途中、私のすぐとなりに、濃い茶色の被布を着た青白い端正の顔の、六十歳くらい、私の母とよく似た老《ろう》婆《ば》がしゃんと坐《すわ》っていて、女車掌が、思い出したように、みなさん、きょうは富士がよく見えますね、と説明ともつかず、また自分ひとりの詠《えい》嘆《たん》ともつかぬ言葉を、突然言い出して、リュックサックしょった若いサラリーマンや、大きい日本髪ゆって、口もとを大事にハンカチでおおいかくし、絹物まとった芸者風の女など、からだをねじ曲げ、一せいに車窓から首を出して、いまさらのごとく、その変哲もない三角の山を眺めては、やあ、とか、まあ、とか間抜けた嘆声を発して、車内はひとしきり、ざわめいた。
けれども、私のとなりの御隠居は、胸に深い憂《ゆう》悶《もん》でもあるのか、他の遊覧客とちがって、富士には一《いち》瞥《べつ》も与えず、かえって富士と反対側の、山路に沿った断《だん》崖《がい》をじっと見つめて、私にはその様《さま》が、からだがしびれるほど快よく感ぜられ、私もまた、富士なんか、あんな俗な山、見たくもないという、高《こう》尚《しよう》な虚無の心を、その老《ろう》婆《ば》に見せてやりたく思って、あなたのお苦しみ、わびしさ、みなよくわかる、と頼まれもせぬのに、共鳴の素振りを見せてあげたく、老婆に甘えかかるように、そっとすり寄って、老婆とおなじ姿勢で、ぼんやり崖《がけ》の方を、眺《なが》めてやった。
老婆も何かしら、私に安心していたところがあったのだろう、ぼんやりひとこと、
「おや、月見草」
そう言って、細い指でもって、路《ろ》傍《ぼう》の一か所をゆびさした。
さっと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄《こ》金《がね》色《いろ》の月見草の花ひとつ、花《か》弁《べん》もあざやかに消えず残った。
三七七八メートルの富士の山と、立派に相《あい》対《たい》峙《じ》し、みじんもゆるがず、なんというのか、金《こん》剛《ごう》力《りき》草とでも言いたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。
富士には、月見草がよく似合う。
十月のなかば過ぎても、私の仕事は遅々として進まぬ。
人が恋しい。
夕焼け赤き雁《がん》の腹《はら》雲《ぐも》、二階の廊下で、ひとり煙草を吸いながら、わざと富士には目もくれず、それこそ血の滴《したた》るような真っ赤な山の紅葉を、凝視していた。
茶店のまえの落葉を掃《は》きあつめている茶店のおかみさんに、声をかけた。
「おばさん!
あしたは、天気がいいね」
自分でも、びっくりするほど、う
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