太宰治彼は昔の彼ならず文档格式.docx
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左官屋には、それがむらむらうらめしかったのである。
細君はその場でいきをひきとり、左官屋は牢へ行き、左官屋の十歳ほどの息子が、このあいだ駅の売店のまえで新聞を買って読んでいた。
僕はその姿を見た。
けれども、僕の君に知らせようとしている生活は、こんな月並みのものでない。
こっちへ来給え。
このひがしの方面の眺望は、また一段とよいのだ。
人家もいっそうまばらである。
あの小さな黒い林が、われわれの眼界をさえぎっている。
あれは杉の林だ。
あのなかには、お稲荷(いなり)をまつった社(やしろ)がある。
林の裾(すそ)のぽっと明るいところは、菜の花畠であって、それにつづいて手前のほうに百坪ほどの空地が見える。
龍という緑の文字が書かれてある紙凧(かみだこ)がひっそりあがっている。
あの紙凧から垂れさがっている長い尾を見るとよい。
尾の端からまっすぐに下へ線をひいてみると、ちょうど空地の東北の隅に落ちるだろう?
君はもはや、その箇所にある井戸を見つめている。
いや、井戸の水を吸上喞筒(ポンプ)で汲(く)みだしている若い女を見つめている。
それでよいのだ。
はじめから僕は、あの女を君に見せたかったのである。
まっ白いエプロンを掛けている。
あれはマダムだ。
水を汲みおわって、バケツを右の手に持って、そうしてよろよろと歩きだす。
どの家へはいるだろう。
空地の東側には、ふとい孟宗竹(もうそうちく)が二三十本むらがって生えている。
見ていたまえ。
女は、あの孟宗竹のあいだをくぐって、それから、ふっと姿をかき消す。
それ。
僕の言ったとおりだろう?
見えなくなった。
けれど気にすることはない。
僕はあの女の行くさきを知っている。
孟宗竹のうしろは、なんだかぼんやり赤いだろう。
紅梅が二本あるのだ。
蕾(つぼみ)がふくらみはじめたにちがいない。
あのうすあかい霞(かすみ)の下に、黒い日本甍の屋根が見える。
あの屋根だ。
あの屋根のしたに、いまの女と、それから彼女の亭主とが寝起している。
なんの奇もない屋根のしたに、知らせて置きたい生活がある。
ここへ坐ろう。
あの家は元来、僕のものだ。
三畳と四畳半と六畳と、三間ある。
間取りもよいし、日当りもわるくないのだ。
十三坪のひろさの裏庭がついていて、あの二本の紅梅が植えられてあるほかに、かなりの大きさの百日紅(さるすべり)もあれば、霧島躑躅(きりしまつつじ)が五株ほどもある。
昨年の夏には、玄関の傍に南天燭(なんてんしょく)を植えてやった。
それで屋賃が十八円である。
高すぎるとは思わぬ。
二十四五円くらい貰いたいのであるが、駅から少し遠いゆえ、そうもなるまい。
それでも一年、ためている。
あの家の屋賃は、もともと、そっくり僕のお小使いになる筈なのであるが、おかげで、この一年間というもの、僕は様様のつきあいに肩身のせまい思いをした。
いまの男に貸したのは、昨年の三月である。
裏庭の霧島躑躅がようやく若芽を出しかけていた頃であった。
そのまえには、むかし水泳の選手として有名であった或る銀行員が、その若い細君とふたりきりで住まっていた。
銀行員は気の弱弱しげな男で、酒ものまず、煙草ものまず、どうやら女好きであった。
それがもとで、よく夫婦喧嘩をするのである。
けれども屋賃だけはきちんきちんと納めたのだから、僕はそのひとに就いてあまり悪く言えない。
銀行員は、あしかけ三年いて呉れた。
名古屋の支店へ左遷(させん)されたのである。
ことしの年賀状には、百合とかいう女の子の名前とそれから夫婦の名前と三つならべて書かれていた。
銀行員のまえには、三十歳くらいのビイル会社の技師に貸していた。
母親と妹の三人暮しで、一家そろって無愛想であった。
技師は、服装に無頓着な男で、いつも青い菜葉服(なっぱふく)を着ていて、しかもよい市民であったようである。
母親は白い頭髪を短く角刈にして、気品があった。
妹は二十歳前後の小柄な痩(や)せた女で、矢絣(やがすり)模様の銘仙(めいせん)を好んで着ていた。
あんな家庭を、つつましやかと呼ぶのであろう。
ほぼ半年くらい住まって、それから品川のほうへ越していったけれど、その後の消息を知らない。
僕にとっては、その当時こそ何かと不満もあったのであるが、いまになって考えてみると、あの技師にしろ、また水泳選手にしろ、よい部類の店子(たなこ)であったのである。
俗にいう店子運がよかったわけだ。
それが、いまの三代目の店子のために、すっかりマイナスにされてしまった。
いまごろはあの屋根のしたで、寝床にもぐりこみながらゆっくりホープをくゆらしているにちがいない。
そうだ。
ホープを吸うのだ。
金のないわけはない。
それでも屋賃を払わないのである。
はじめからいけなかった。
黄昏(たそがれ)に、木下と名乗って僕の家へやって来たのであるが、玄関のたたきにつったったまま、書道を教えている、お宅の借家に住まわせていただきたい、というようなそれだけの意味のことを妙にひとなつこく搦(から)んで来るような口調で言った。
痩せていて背のきわめてひくい、細面の青年であった。
肩から袖口にかけての折目がきちんと立っているま新しい久留米絣(くるめがすり)の袷(あわせ)を着ていたのである。
たしかに青年に見えた。
あとで知ったが、四十二歳だという。
僕より十も年うえである。
そう言えば、あの男の口のまわりや眼のしたに、たるんだ皺(しわ)がたくさんあって、青年ではなさそうにも見えるのであるが、それでも、四十二歳は嘘(うそ)であろうと思う。
いや、それくらいの嘘は、あの男にしては何も珍らしくないのである。
はじめ僕の家へ来たときから、もうすでに大嘘を吐(つ)いている。
僕は彼の申し出にたいして、お気にいったならば、と答えた。
僕は、店子の身元についてこれまで、あまり深い詮索(せんさく)をしなかった。
失礼なことだと思っている。
敷金のことについて彼はこんなことを言った。
「敷金は二つですか?
そうですか。
いいえ、失礼ですけれど、それでは五十円だけ納めさせていただきます。
いいえ。
私ども、持っていましたところで、使ってしまいます。
あの、貯金のようなものですものな。
ほほ。
明朝すぐに引越しますよ。
敷金はそのおり、ごあいさつかたがた持ってあがりましょうね。
いけないでしょうかしら?
」
こんな工合いである。
いけないとは言えないだろう。
それに僕は、ひとの言葉をそのままに信ずる主義である。
だまされたなら、それはだましたほうが悪いのだ。
僕は、かまいません、あすでもあさってでもと答えた。
男は、甘えるように微笑(ほほえ)みながらていねいにお辞儀をして、しずかに帰っていった。
残された名刺には、住所はなくただ木下青扇とだけ平字で印刷され、その文字の右肩には、自由天才流書道教授とペンで小汚く書き添えられていた。
僕は他意なく失笑した。
翌(あく)る朝、青扇夫婦はたくさんの世帯道具をトラックで二度も運ばせて引越して来たのであるが、五十円の敷金はついにそのままになった。
よこすものか。
引越してその日のひるすぎ、青扇は細君と一緒に僕の家へ挨拶しに来た。
彼は黄色い毛糸のジャケツを着て、ものものしくゲエトルをつけ、女ものらしい塗下駄(ぬりげた)をはいていた。
僕が玄関へ出て行くとすぐに、「ああ。
やっとお引越しがおわりましたよ。
こんな恰好でおかしいでしょう?
それから僕の顔をのぞきこむようにしてにっと笑ったのである。
僕はなんだかてれくさい気がして、たいへんですな、とよい加減な返事をしながら、それでも微笑をかえしてやった。
「うちの女です。
よろしく。
青扇は、うしろにひっそりたたずんでいたやや大柄な女のひとを、おおげさに顎(あご)でしゃくって見せた。
僕たちは、お辞儀をかわした。
麻の葉模様の緑がかった青い銘仙(めいせん)の袷(あわせ)に、やはり銘仙らしい絞り染の朱色の羽織をかさねていた。
僕はマダムのしもぶくれのやわらかい顔をちらと見て、ぎくっとしたのである。
顔を見知っているというわけでもないのに、それでも強く、とむねを突かれた。
色が抜けるように白く、片方の眉がきりっとあがって、それからもう一方の眉は平静であった。
眼はいくぶん細いようであって、うすい下唇をかるく噛んでいた。
はじめ僕は、怒っているのだと思ったのである。
けれどもそうでないことをすぐに知った。
マダムはお辞儀をしてから、青扇にかくすようにして大型の熨斗袋(のしぶくろ)をそっと玄関の式台にのせ、おしるしに、とひくいがきっぱりした語調で言った。
それからもいちどゆっくりお辞儀をしたのである。
お辞儀をするときにもやはり片方の眉をあげて、下唇を噛んでいた。
僕は、これはこのひとのふだんからの癖なのであろうと思った。
そのまま青扇夫婦は立ち去ったのであるが、僕はしばらくぽかんとしていた。
それからむかむか不愉快になった。
敷金のこともあるし、それよりもなによりも、なんだか、してやられたようないらだたしさに堪えられなくなったのである。
僕は式台にしゃがんで、その恥かしく大きな熨斗袋をつまみあげ、なかを覗(のぞ)いてみたのである。
お蕎麦(そば)屋の五円切手がはいっていた。
ちょっとの間、僕には何も訳がわからなかった。
五円の切手とは、莫迦(ばか)げたことである。
ふと、僕はいまわしい疑念にとらわれた。
ひょっとすると敷金のつもりなのではあるまいか。
そう考えたのである。
それならこれはいますぐにでもたたき返さなければいけない。
僕は、我慢できない胸くその悪さを覚え、その熨斗袋を懐(ふところ)にし、青扇夫婦のあとを追っかけるようにして家を出たのだ。
青扇もマダムも、まだ彼等の新居に帰ってはいなかった。
帰途、買い物にでもまわったのであろうと思って、僕はその不用心にもあけ放されてあった玄関からのこのこ家へはいりこんでしまった。
ここで待ち伏せていてやろうと考えたのである。
ふだんならば僕も、こんな乱暴な料簡(りょうけん)は起さないのであるが、どうやら懐中の五円切手のおかげで少し調子を狂わされていたらしいのである。
僕は玄関の三畳間をとおって、六畳の居間へはいった。
この夫婦は引越しにずいぶん馴れているらしく、もうはや、あらかた道具もかたづいていて、床の間には、二三輪のうす赤い花をひらいているぼけの素焼の鉢(はち)が飾られていた。
軸は、仮表装の北斗七星の四文字である。
文句もそうであるが、書体はいっそう滑稽であった。
糊刷毛(のりはけ)かなにかでもって書いたものらしく、仰山に肉の太い文字で、そのうえ目茶苦茶ににじんでいた。
落款(らっかん)らしいものもなかったけれど、僕はひとめで青扇の書いたものだと断定を下した。
つまりこれは、自由天才流なのであろう。
僕は奥の四畳半にはいった。
箪笥(たんす)や鏡台がきちんと場所をきめて置かれていた。
首の細い脚の巨大な裸婦のデッサンがいちまい、まるいガラス張りの額縁に収められ、鏡台のすぐ傍の壁にかけられていた。
これはマダムの部屋なのであろう。
まだ新しい桑の長火鉢と、それと揃いらしい桑の小綺麗な茶箪笥とが壁際にならべて置かれていた。
長火鉢には鉄瓶(てつびん)がかけられ、火がおこっていた。
僕は、まずその長火鉢の傍に腰をおちつけて、煙草を吸ったのである。
引越したばかりの新居は、ひとを感傷的にするものらしい。
僕も、あの額縁の画についての夫婦の相談や、この長火鉢の位置についての争論を思いやって、やはり生活のあらたまった折の甲斐甲斐しいいきごみを感じたわけであった。
煙草を一本吸っただけで、僕は腰を浮かせた。
五月になったら畳をかえてやろう。
そんなことを思いながら僕は玄関から外へ出て、あらためて玄関の傍の枝折戸(しおりど)から庭のほうへまわり、六畳間の縁側に腰かけて青扇夫婦を待ったのである。
青扇夫婦は、庭の百日紅(さるすべり)の幹が夕日に赤く染まりはじめたころ、ようやく帰って来た。
案のじょう買い物らしく、青扇は箒(ほうき)をいっぽん肩に担(かつ)いで、マダムは、くさぐさの買いものをつめたバケツを重たそうに右手にさげていた。
彼等は枝折戸をあけてはいって来たので、すぐに僕のすがたを認めたのであるが、たいして驚きもしなかった。
「これは、おおやさん。
いらっしゃい。
青扇は箒をかついだまま微笑(ほほえ)んでかるく頭をさげた。
「いらっしゃいませ。
マダムも例の眉をあげて、それでもまえよりはいくぶんくつろいだようにちかと白い歯を見せ、笑いながら挨拶した。
僕は内心こまったのである。
敷金のことはきょうは言うまい。
蕎麦(そば)の切手についてだけたしなめてやろうと思った。
けれど、それも失敗したのである。
僕はかえって青扇と握手を交し、そのうえ、だらしのないことであるが、お互いのために万歳をさえとなえたのだ。
青扇のすすめるがままに、僕は縁側から六畳の居間にあがった。
僕は青扇と対座して、どういう工合いに話を切りだしてよいか、それだけを考えていた。
僕がマダムのいれてくれたお茶を一口すすったとき、青扇はそっと立ちあがって、そうして隣りの部屋から将棋盤を持って来たのである。
君も知っているように僕は将棋の上手である。
一番くらいは指してもよいなと思った。
客とろくに話もせぬうちに、だまって将棋盤を持ちだすのは、これは将棋のひとり天狗(てんぐ)のよくやりたがる作法である。
それではまず、ぎゅっと言わせてやろう。
僕も微笑みながら、だまって駒をならべた。
青扇の棋風は不思議であった。
ひどく早いのである。
こちらもそれに釣られて早く指すならば、いつの間にやら王将をとられている。
そんな棋風であった。
謂(い)わば奇襲である。
僕は幾番となく負けて、そのうちにだんだん熱狂しはじめたようであった。
部屋が少しうすぐらくなったので、縁側に出て指しつづけた。
結局は、十対六くらいで僕の負けになったのであるが、僕も青扇もぐったりしてしまった。
青扇は、勝負中は全く無口であった。
しっかとあぐらの腰をおちつけて、つまり斜めにかまえていた。
「おなじくらいですな。
」彼は駒を箱にしまいこみながら、まじめに呟(つぶや)いた。
「横になりませんか。
あああ。
疲れましたね。
僕は失礼して脚をのばした。
頭のうしろがちきちき痛んだ。
青扇も将棋盤をわきへのけて、縁側へながながと寝そべった。
そうして夕闇に包まれはじめた庭を頬杖ついて眺めながら、
「おや。
かげろう!
」ひくく叫んだ。
「不思議ですねえ。
ごらんなさいよ。
いまじぶん、かげろうが。
僕も、縁側に這いつくばって、庭のしめった黒土のうえをすかして見た。
はっと気づいた。
まだ要件をひとことも言わぬうちに、将棋を指したり、かげろうを捜したりしているおのれの呆け加減に気づいたのである。
僕はあわてて坐り直した。
「木下さん。
困りますよ。
」そう言って、例の熨斗袋(のしぶくろ)を懐(ふところ)から出したのである。
「これは、いただけません。
青扇はなぜかぎょっとしたらしく顔つきを変えて立ちあがった。
僕も身構えた。
「なにもございませんけれど。
マダムが縁側へ出て来て僕の顔を覗(のぞ)いた。
部屋には電燈がぼんやりともっていたのである。
「そうか。
そうか。
」青扇は、せかせかした調子でなんども首肯(うなず)きながら、眉をひそめ、何か遠いものを見ているようであった。
「それでは、さきにごはんをたべましょう。
お話は、それからゆっくりいたしましょうよ。
僕はこのうえめしのごちそうになど、なりたくなかったのであるが、とにかくこの熨斗袋の始末だけはつけたいと思い、マダムについて部屋へはいった。
それがよくなかったのである。
酒を呑んだのだ。
マダムに一杯すすめられたときには、これは困ったことになったと思った。
けれども二杯三杯とのむにつれて、僕はしだいしだいに落ちついて来たのである。
はじめ青扇の自由天才流をからかうつもりで、床の軸物をふりかえって見て、これが自由天才流ですかな、と尋ねたものだ。
すると青扇は、酔いですこし赤らんだ眼のほとりをいっそうぽっと赤くして、苦しそうに笑いだした。
「自由天才流?
ああ。
あれは嘘ですよ。
なにか職業がなければ、このごろの大家さんたちは貸してくれないということを聞きましたので、ま、あんな出鱈目(でたらめ)をやったのです。
怒っちゃいけませんよ。
」そう言ってから、またひとしきりむせかえるようにして笑った。
「これは、古道具屋で見つけたのです。
こんなふざけた書家もあるものかとおどろいて、三十銭かいくらで買いました。
文句も北斗七星とばかりでなんの意味もないものですから気にいりました。
私はげてものが好きなのですよ。
僕は青扇をよっぽど傲慢(ごうまん)な男にちがいないと思った。
傲慢な男ほど、おのれの趣味をひねりたがるようである。
「失礼ですけれど、無職でおいでですか?
また五円の切手が気になりだしたのである。
きっとよくない仕掛けがあるにちがいないと考えた。
「そうなんです。
」杯をふくみながら、まだにやにや笑っていた。
「けれども御心配は要りませんよ。
「いいえ。
」なるたけよそよそしくしてやるように努めたのである。
「僕は、はっきり言いますけれど、この五円の切手がだいいちに気がかりなのです。
マダムが僕にお酌をしながら口を出した。
「ほんとうに。
」ふくらんでいる小さい手で襟元(えりもと)を直してから微笑んだ。
「木下がいけないのですの。
こんどの大家さんは、わかくて善良らしいとか、そんな失礼なことを言いまして、あの、むりにあんなおかしげな切手を作らせましたのでございますの。
ほんとうに。
「そうですか。
」僕は思わず笑いかけた。
僕もおどろいたのです。
敷金の、」滑らせかけて口を噤(つぐ)んだ。
」青扇が僕の口真似をした。
「わかりました。
あした持ってあがりましょうね。
銀行がやすみなのです。
そう言われてみるときょうは日曜であった。
僕たちはわけもなく声を合せて笑いこけた。
僕は学生時代から天才という言葉が好きであった。
ロンブロオゾオやショオペンハウエルの天才論を読んで、ひそかにその天才に該当するような人間を捜しあるいたものであったが、なかなか見つからないのである。
高等学校にはいっていたとき、そこの歴史の坊主頭をしたわかい教授が、全校の生徒の姓名とそれぞれの出身中学校とを悉(ことごと)くそらんじているという評判を聞いて、これは天才でなかろうかと注目していたのだが、それにしては講義がだらしなかった。
あとで知ったことだけれど、生徒の姓名とその各々の出身中学校とを覚えているというのは、この教授の唯一の誇りであって、それらを記憶して置くために骨と肉と内臓とを不具にするほどの難儀をしていたのだそうである。
いま僕は、こうして青扇と対座して話合ってみるに、その骨骼(こっかく)といい、頭恰好といい、瞳(ひとみ)のいろといい、それから音声の調子といい、まったくロンブロオゾオやショオペンハウエルの規定している天才の特徴と酷似(こくじ)しているのである。
たしかに、そのときにはそう思われた。
蒼白痩削(そうはくそうさく)。
短躯猪首(たんくいくび)。
台詞(せりふ)がかった鼻音声。
酒が相当にまわって来たころ、僕は青扇にたずねたのである。
「あなたは、さっき職業がないようなことをおっしゃったけれど、それでは何か研究でもしておられるのですか?
「研究?
」青扇はいたずら児のように、首をすくめて大きい眼をくるっとまわしてみせた。
「なにを研究するの?
私は研究がきらいです。
よい加減なひとり合点の註釈をつけることでしょう?
いやですよ。
私は創るのだ。
「なにをつくるのです。
発明かしら?
青扇はくつくつと笑いだした。
黄色いジャケツを脱いでワイシャツ一枚になり、
「これは面白くなったですねえ。
そうですよ。
発明ですよ。
無線電燈の発明だよ。
世界じゅうに一本も電柱がなくなるというのはどんなにさばさばしたことでしょうね。
だいいち、あなた、ちゃんばら活動のロケエションが大助かりです。
私は役者ですよ。
マダムは眼をふたつ乍(なが)ら煙ったそうに細めて、青扇のでらでら油光りしだした顔をぼんやり見あげた。
「だめでございますよ。
酔っぱらったのですの。
いつもこんな出鱈目(でたらめ)ばかり申して、こまってしまいます。
お気になさらぬように。
「なにが出鱈目だ。
うるさい。
おおやさん、私はほんとに発明家ですよ。
どうすれば人間、有名になれるか、これを発明したのです。
それ、ごらん。
膝(ひざ)を乗りだして来たじゃないか。
これだ。
いまのわかいひとたちは、みんなみんな有名病という奴にかかっているのです。
少しやけくそな、しかも卑屈な有名病にね。
君、いや、あなた、飛行家におなり。
世界一周の早まわりのレコオド。
どうかしら?
死ぬる覚悟で眼をつぶって、どこまでも西へ西へと飛ぶのだ。
眼をあけたときには、群集の山さ。
地球の寵児(ちょうじ)さ。
たった三日の辛抱だ。
やる気はないかな。
意気地のない野郎だねえ。
ほっほっほ。
いや、失礼。
それでなければ犯罪だ。
なあに、うまくいきますよ。
自分さえがっちりしてれあ、なんでもないんだ。
人を殺すもよし、ものを盗むもよし、ただ少しおおがかりな犯罪ほどよいのですよ。
大丈夫。
見つかるものか。
時効のかかったころ、堂々と名乗り出るのさ。
あなた、もてますよ。
けれどもこれは、飛行機の三日間にくらべると、十年間くらいの我慢だから、あなたがた近代人には鳥渡(ちょっと)ふむきですね。
よし。
それでは、ちょうどあなたにむくくらいのつつましい方法を教えましょう。
君みたいな助平ったれの、小心ものの、薄志弱行の徒輩には、醜聞という恰好の方法があるよ。
まずま
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