大导寺信辅の半生.docx
- 文档编号:30826166
- 上传时间:2024-01-30
- 格式:DOCX
- 页数:16
- 大小:28.97KB
大导寺信辅の半生.docx
《大导寺信辅の半生.docx》由会员分享,可在线阅读,更多相关《大导寺信辅の半生.docx(16页珍藏版)》请在冰豆网上搜索。
大导寺信辅の半生
大導寺信輔の半生
――或精神的風景画――
芥川龍之介
-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:
ルビ
(例)本所《ほんじょ》
|:
ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一見|小綺麗《こぎれい》に
[#]:
入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JISX0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「りっしんべん+淌のつくり」、第3水準1-84-54]
[#…]:
返り点
(例)替[#レ]天行[#レ]道
-------------------------------------------------------
一 本所
大導寺信輔の生まれたのは本所《ほんじょ》の回向院《えこういん》の近所だった。
彼の記憶に残っているものに美しい町は一つもなかった。
美しい家も一つもなかった。
殊に彼の家のまわりは穴蔵大工だの駄菓子屋だの古道具屋だのばかりだった。
それ等の家々に面した道も泥濘の絶えたことは一度もなかった。
おまけに又その道の突き当りはお竹倉の大溝《おおどぶ》だった。
南京藻《なんきんも》の浮かんだ大溝はいつも悪臭を放っていた。
彼は勿論《もちろん》こう言う町々に憂欝《ゆううつ》を感ぜずにはいられなかった。
しかし又、本所以外の町々は更に彼には不快だった。
しもた家の多い山の手を始め小綺麗《こぎれい》な商店の軒を並べた、江戸伝来の下町も何か彼を圧迫した。
彼は本郷や日本橋よりも寧《むし》ろ寂しい本所を――回向院を、駒止《こまど》め橋《ばし》を、横網を、割り下水を、榛《はん》の木馬場を、お竹倉の大溝を愛した。
それは或は愛よりも憐《あわれ》みに近いものだったかも知れない。
が、憐みだったにもせよ、三十年後の今日さえ時々彼の夢に入るものは未だにそれ等の場所ばかりである…………
信輔はもの心を覚えてから、絶えず本所の町々を愛した。
並み木もない本所の町々はいつも砂埃《すなぼこ》りにまみれていた。
が、幼い信輔に自然の美しさを教えたのはやはり本所の町々だった。
彼はごみごみした往来に駄菓子を食って育った少年だった。
田舎は――殊に水田の多い、本所の東に開いた田舎はこう言う育ちかたをした彼には少しも興味を与えなかった。
それは自然の美しさよりも寧ろ自然の醜さを目のあたりに見せるばかりだった。
けれども本所の町々はたとい自然には乏しかったにもせよ、花をつけた屋根の草や水たまりに映った春の雲に何かいじらしい美しさを示した。
彼はそれ等の美しさの為にいつか自然を愛し出した。
尤《もっと》も自然の美しさに次第に彼の目を開かせたものは本所の町々には限らなかった。
本も、――彼の小学時代に何度も熱心に読み返した蘆花《ろか》の「自然と人生」やラボックの翻訳「自然美論」も勿論彼を啓発した。
しかし彼の自然を見る目に最も影響を与えたのは確かに本所の町々だった。
家々も樹木も往来も妙に見すぼらしい町々だった。
実際彼の自然を見る目に最も影響を与えたのは見すぼらしい本所の町々だった。
彼は後年本州の国々へ時々短い旅行をした。
が、荒あらしい木曾《きそ》の自然は常に彼を不安にした。
又優しい瀬戸内の自然も常に彼を退屈にした。
彼はそれ等の自然よりも遥《はる》かに見すぼらしい自然を愛した。
殊に人工の文明の中にかすかに息づいている自然を愛した。
三十年前の本所は割り下水の柳を、回向院の広場を、お竹倉の雑木林を、――こう言う自然の美しさをまだ至る所に残していた。
彼は彼の友だちのように日光や鎌倉へ行かれなかった。
けれども毎朝父と一しょに彼の家の近所へ散步に行った。
それは当時の信輔には確かに大きい幸福だった。
しかし又彼の友だちの前に得々と話して聞かせるには何か気のひける幸福だった。
或朝焼けの消えかかった朝、父と彼とはいつものように百本杭《ひゃっぽんぐい》へ散步に行った。
百本杭は大川の河岸でも特に釣り師の多い場所だった。
しかしその朝は見渡した所、一人も釣り師は見えなかった。
広い河岸には石垣の間に舟虫の動いているばかりだった。
彼は父に今朝に限って釣り師の見えぬ訣《わけ》を尋ねようとした。
が、まだ口を開かぬうちに忽《たちま》ちその答を発見した。
朝焼けの揺らめいた川波には坊主頭の死骸《しがい》が一人、磯臭い水草や五味《ごみ》のからんだ乱杭《らんぐい》の間に漂っていた。
――彼は未だにありありとこの朝の百本杭を覚えている。
三十年前の本所は感じ易い信輔の心に無数の追憶的風景画を残した。
けれどもこの朝の百本杭は――この一枚の風景画は同時に又本所の町々の投げた精神的陰影の全部だった。
二 牛乳
信輔は全然母の乳を吸ったことのない少年だった。
元来体の弱かった母は一粒種の彼を産んだ後さえ、一滴の乳も与えなかった。
のみならず乳母を養うことも貧しい彼の家の生計には出来ない相談の一つだった。
彼はその為に生まれ落ちた時から牛乳を飲んで育って来た。
それは当時の信輔には憎まずにはいられぬ運命だった。
彼は毎朝台所へ来る牛乳の壜《びん》を軽蔑《けいべつ》した。
又何を知らぬにもせよ、母の乳だけは知っている彼の友だちを羨望《せんぼう》した。
現に小学へはいった頃、年の若い彼の叔母は年始か何かに来ているうちに乳の張ったのを苦にし出した。
乳は真鍮《しんちゅう》の嗽《うが》い茶碗《ぢゃわん》へいくら絞っても出て来なかった。
叔母は眉《まゆ》をひそめたまま、半ば彼をからかうように「信ちゃんに吸って貰おうか?
」と言った。
けれども牛乳に育った彼は勿論《もちろん》吸いかたを知る筈《はず》はなかった。
叔母はとうとう隣の子に――穴蔵大工の女の子に固い乳房を吸って貰った。
乳房は盛り上った半球の上へ青い静脈をかがっていた。
はにかみ易い信輔はたとい吸うことは出来たにもせよ、到底叔母の乳などを吸うことは出来ないのに違いなかった。
が、それにも関らずやはり隣の女の子を憎んだ。
同時に又隣の女の子に乳を吸わせる叔母を憎んだ。
この小事件は彼の記憶に重苦しい嫉妬《しっと》ばかり残している。
が、或はその外にも彼のVitasexualisは当時にはじまっていたのかも知れない。
………
信輔は壜詰めの牛乳の外に母の乳を知らぬことを恥じた。
これは彼の秘密だった。
誰にも決して知らせることの出来ぬ彼の一生の秘密だった。
この秘密は又当時の彼には或迷信をも伴っていた。
彼は只《ただ》頭ばかり大きい、無気味なほど痩《や》せた少年だった。
のみならずはにかみ易い上にも、磨《と》ぎ澄ました肉屋の庖丁《ほうちょう》にさえ動悸《どうき》の高まる少年だった。
その点は――殊にその点は伏見鳥羽の役に銃火をくぐった、日頃胆勇自慢の父とは似ても似つかぬのに違いなかった。
彼は一体何歳からか、又どう言う論理からか、この父に似つかぬことを牛乳の為と確信していた。
いや、体の弱いことをも牛乳の為と確信していた。
若《も》し牛乳の為とすれば、少しでも弱みを見せたが最後、彼の友だちは彼の秘密を看破してしまうのに違いなかった。
彼はその為にどう言う時でも彼の友だちの挑戦に応じた。
挑戦は勿論一つではなかった。
或時はお竹倉の大溝《おおどぶ》を棹《さお》も使わずに飛ぶことだった。
或時は回向院《えこういん》の大銀杏《おおいちょう》へ梯子《はしご》もかけずに登ることだった。
或時は又彼等の一人と殴り合いの喧嘩《けんか》をすることだった。
信輔は大溝を前にすると、もう膝頭《ひざがしら》の震えるのを感じた。
けれどもしっかり目をつぶったまま、南京藻《なんきんも》の浮かんだ水面を一生懸命に跳《おど》り越えた。
この恐怖や逡巡《しゅんじゅん》は回向院の大銀杏へ登る時にも、彼等の一人と喧嘩をする時にもやはり彼を襲来した。
しかし彼はその度に勇敢にそれ等を征服した。
それは迷信に発したにもせよ、確かにスパルタ式の訓練だった。
このスパルタ式の訓練は彼の右の膝頭へ一生消えない傷痕《きずあと》を残した。
恐らくは彼の性格へも、――信輔は未だに威丈高になった父の小言を覚えている。
――「貴様は意気地もない癖に、何をする時でも剛情でいかん。
」
しかし彼の迷信は幸にも次第に消えて行った。
のみならず彼は西洋史の中に少くとも彼の迷信には反証に近いものを発見した。
それは羅馬《ローマ》の建国者ロミュルスに乳を与えたものは狼であると言う一節だった。
彼は母の乳を知らぬことに爾来《じらい》一層冷淡になった。
いや、牛乳に育ったことは寧《むし》ろ彼の誇りになった。
信輔は中学へはいった春、年とった彼の叔父と一しょに、当時叔父が経営していた牧場へ行ったことを覚えている。
殊にやっと柵《さく》の上へ制服の胸をのしかけたまま、目の前へ步み寄った白牛に干し草をやったことを覚えている。
牛は彼の顔を見上げながら、静かに干し草へ鼻を出した。
彼はその顔を眺めた時、ふとこの牛の瞳《ひとみ》の中に何にか人間に近いものを感じた。
空想?
――或は空想かも知れない。
が、彼の記憶の中には未だに大きい白牛が一頭、花を盛った杏《あんず》の枝の下の柵によった彼を見上げている。
しみじみと、懐しそうに。
………
三 貧困
信輔の家庭は貧しかった。
尤《もっと》も彼等の貧困は棟割長屋《むねわりながや》に雑居する下流階級の貧困ではなかった。
が、体裁を繕う為により苦痛を受けなければならぬ中流下層階級の貧困だった。
退職官吏だった、彼の父は多少の貯金の利子を除けば、一年に五百円の恩給に女中とも家族五人の口を餬《のり》して行かなければならなかった。
その為には勿論節倹の上にも節倹を加えなければならなかった。
彼等は玄関とも五間の家に――しかも小さい庭のある門構えの家に住んでいた。
けれども新らしい着物などは誰一人滅多に造らなかった。
父は常に客にも出されぬ悪酒の晚酌に甘んじていた。
母もやはり羽織の下にはぎだらけの帯を隠していた。
信輔も――信輔は未だにニスの臭い彼の机を覚えている。
机は古いのを買ったものの、上へ張った緑色の羅紗《ラシャ》も、銀色に光った抽斗《ひきだし》の金具も一見|小綺麗《こぎれい》に出来上っていた。
が、実は羅紗も薄いし、抽斗も素直にあいたことはなかった。
これは彼の机よりも彼の家の象徴だった。
体裁だけはいつも繕わなければならぬ彼の家の生活の象徴だった。
………
信輔はこの貧困を憎んだ。
いや、今もなお当時の憎悪は彼の心の奥底に消し難い反響を残している。
彼は本を買われなかった。
夏期学校へも行かれなかった。
新らしい外套《がいとう》も着られなかった。
が、彼の友だちはいずれもそれ等を受用していた。
彼は彼等を羨《うらや》んだ。
時には彼等を妬《ねた》みさえした。
しかしその嫉妬や羨望を自認することは肯《がえん》じなかった。
それは彼等の才能を軽蔑している為だった。
けれども貧困に対する憎悪は少しもその為に変らなかった。
彼は古畳を、薄暗いランプを、蔦《つた》の画の剥《は》げかかった唐紙《からかみ》を、――あらゆる家庭の見すぼらしさを憎んだ。
が、それはまだ好かった。
彼は只見すぼらしさの為に彼を生んだ両親を憎んだ。
殊に彼よりも背の低い、頭の禿《は》げた父を憎んだ。
父は度たび学校の保証人会議に出席した。
信輔は彼の友だちの前にこう言う父を見ることを恥じた。
同時にまた肉身の父を恥じる彼自身の心の卑しさを恥じた。
国木田独步を模倣した彼の「自ら欺かざるの記」はその黄ばんだ罫紙《けいし》の一枚にこう言う一節を残している。
――
「予は父母を愛する能《あた》はず。
否、愛する能はざるに非《あら》ず。
父母その人は愛すれども、父母の外見を愛する能はず。
貌《かたち》を以《もつ》て人を取るは君子の恥づる所也。
況《いはん》や父母の貌を云々《うんぬん》するをや。
然《しか》れども予は如何にするも父母の外見を愛する能はず。
……」
けれどもこう言う見すぼらしさよりも更に彼の憎んだのは貧困に発した偽りだった。
母は「風月」の菓子折につめたカステラを親戚《しんせき》に進物にした。
が、その中味は「風月」所か、近所の菓子屋のカステラだった。
父も、――如何に父は真事《まこと》しやかに「勤倹尚武」を教えたであろう。
父の教えた所によれば、古い一冊の玉篇の外に漢和辞典を買うことさえ、やはり「奢侈文弱《しゃしぶんじゃく》」だった!
のみならず信輔自身も亦|嘘《うそ》に嘘を重ねることは必しも父母に劣らなかった。
それは一月五十銭の小遣いを一銭でも余計に貰った上、何よりも彼の餓《う》えていた本や雑誌を買う為だった。
彼はつり銭を落したことにしたり、ノオト.ブックを買うことにしたり、学友会の会費を出すことにしたり、――あらゆる都合の好い口実のもとに父母の金銭を盗もうとした。
それでもまだ金の足りない時には巧みに両親の歓心を買い、翌月の小遣いを捲《ま》き上げようとした。
就中《なかんずく》彼に甘かった老年の母に媚《こ》びようとした。
勿論《もちろん》彼には彼自身の嘘も両親の嘘のように不快だった。
しかし彼は嘘をついた。
大胆に狡猾《こうかつ》に嘘をついた。
それは彼には何よりも先に必要だったのに違いなかった。
が、同時に又病的な愉快を、――何か神を殺すのに似た愉快を与えたのにも違いなかった。
彼は確かにこの点だけは不良少年に接近していた。
彼の「自ら欺かざるの記」はその最後の一枚にこう言う数行を残している。
――
「独步は恋を恋すと言へり。
予は憎悪を憎悪せんとす。
貧困に対する、虚偽に対する、あらゆる憎悪を憎悪せんとす。
……」
これは信輔の衷情だった。
彼はいつか貧困に対する憎悪そのものをも憎んでいた。
こう言う二重に輪を描いた憎悪は二十前の彼を苦しめつづけた。
尤《もっと》も多少の幸福は彼にも全然ない訣《わけ》ではなかった。
彼は試験の度ごとに三番か四番の成績を占めた。
又或下級の美少年は求めずとも彼に愛を示した。
しかしそれ等も信輔には曇天を洩《も》れる日の光だった。
憎悪はどう言う感情よりも彼の心を圧していた。
のみならずいつか彼の心へ消し難い痕跡《こんせき》を残していた。
彼は貧困を脱した後も、貧困を憎まずにはいられなかった。
同時に又貧困と同じように豪奢《ごうしゃ》をも憎まずにはいられなかった。
豪奢をも、――この豪奢に対する憎悪は中流下層階級の貧困の与える烙印《らくいん》だった。
或は中流下層階級の貧困だけ[#「だけ」に傍点]の与える烙印だった。
彼は今日も彼自身の中にこの憎悪を感じている。
この貧困と闘わなければならぬPettyBourgeoisの道徳的恐怖を。
……
丁度大学を卒業した秋、信輔は法科に在学中の或友だちを訪問した。
彼等は壁も唐紙も古びた八畳の座敷に話していた。
其後へ顔を出したのは六十前後の老人だった。
信輔はこの老人の顔に、――アルコオル中毒の老人の顔に退職官吏を直覚した。
「僕の父。
」
彼の友だちは簡単にこうその老人を紹介した。
老人は寧《むし》ろ傲然《ごうぜん》と信輔の挨拶《あいさつ》を聞き流した。
それから奥へはいる前に、「どうぞ御ゆっくり。
あすこに椅子《いす》もありますから」と言った。
成程二脚の肘《ひじ》かけ椅子は黒ずんだ縁側《えんがわ》に並んでいた。
が、それ等は腰の高い、赤いクッションの色の褪《さ》めた半世紀前の古椅子だった。
信輔はこの二脚の椅子に全中流下層階級を感じた。
同時に又彼の友だちも彼のように父を恥じているのを感じた。
こう言う小事件も彼の記憶に苦しいほどはっきりと残っている。
思想は今後も彼の心に雑多の陰影を与えるかも知れない。
しかし彼は何よりも先に退職官吏の息子だった。
下層階級の貧困よりもより虚偽に甘んじなければならぬ中流下層階級の貧困の生んだ人間だった。
四 学校
学校も亦信輔には薄暗い記憶ばかり残している。
彼は大学に在学中、ノオトもとらずに出席した二三の講義を除きさえすれば、どう言う学校の授業にも興味を感じたことは一度もなかった。
が、中学から高等学校、高等学校から大学と幾つかの学校を通り抜けることは僅《わず》かに貧困を脱出するたった一つの救命袋だった。
尤も信輔は中学時代にはこう言う事実を認めなかった。
少くともはっきりとは認めなかった。
しかし中学を卒業する頃から、貧困の脅威は曇天のように信輔の心を圧しはじめた。
彼は大学や高等学校にいる時、何度も廃学を計画した。
けれどもこの貧困の脅威はその度に薄暗い将来を示し、無造作に実行を不可能にした。
彼は勿論学校を憎んだ。
殊に拘束の多い中学を憎んだ。
如何に門衛の喇叭《らっぱ》の音は刻薄な響を伝えたであろう。
如何に又グラウンドのポプラアは憂欝《ゆううつ》な色に茂っていたであろう。
信輔は其処に西洋歴史のデエトを、実験もせぬ化学の方程式を、欧米の一都市の住民の数を、――あらゆる無用の小智識を学んだ。
それは多少の努力さえすれば、必しも苦しい仕事ではなかった。
が、無用の小智識と言う事実をも忘れるのは困難だった。
ドストエフスキイは「死人の家」の中にたとえば第一のバケツの水をまず第二のバケツへ移し、更に又第二のバケツの水を第一のバケツへ移すと言うように、無用の労役を強いられた囚徒の自殺することを語っている。
信輔は鼠色《ねずみいろ》の校舎の中に、――丈の高いポプラアの戦《そよ》ぎの中にこう言う囚徒の経験する精神的苦痛を経験した。
のみならず――
のみならず彼の教師と言うものを最も憎んだのも中学だった。
教師は皆個人としては悪人ではなかったに違いなかった。
しかし「教育上の責任」は――殊に生徒を処罰する権利はおのずから彼等を暴君にした。
彼等は彼等の偏見を生徒の心へ種痘する為には如何なる手段をも選ばなかった。
現に彼等の或ものは、――達磨《だるま》と言う諢名《あだな》のある英語の教師は「生意気である」と言う為に度たび信輔に体刑を課した。
が、その「生意気である」所以《ゆえん》は畢竟《ひっきょう》信輔の独步や花袋《かたい》を読んでいることに外ならなかった。
又彼等の或ものは――それは左の眼に義眼をした国語漢文の教師だった。
この教師は彼の武芸や競技に興味のないことを喜ばなかった。
その為に何度も信輔を「お前は女か?
」と嘲笑《ちょうしょう》した。
信輔は或時|赫《かっ》とした拍子に、「先生は男ですか?
」と反問した。
教師は勿論彼の不遜《ふそん》に厳罰を課せずには措《お》かなかった。
その外もう紙の黄ばんだ「自ら欺かざるの記」を読み返して見れば、彼の屈辱を蒙《こうむ》ったことは枚挙し難い位だった。
自尊心の強い信輔は意地にも彼自身を守る為に、いつもこう言う屈辱を反撥《はんぱつ》しなければならなかった。
さもなければあらゆる不良少年のように彼自身を軽んずるのに了《おわ》るだけだった。
彼はその自彊術《じきょうじゅつ》の道具を当然「自ら欺かざるの記」に求めた。
――
「予の蒙れる悪名は多けれども、分つて三と為すことを得べし。
「その一は文弱也。
文弱とは肉体の力よりも精神の力を重んずるを言ふ。
「その二は軽佻《けいてう》浮薄也。
軽佻浮薄とは功利の外に美なるものを愛するを言ふ。
「その三は傲慢《がうまん》也。
傲慢とは妄《みだり》に他の前に自己の所信を屈せざるを言ふ。
しかし教師も悉《ことごと》く彼を迫害した訣ではなかった。
彼等の或ものは家族を加えた茶話会に彼を招待した。
又彼等の或ものは彼に英語の小説などを貸した。
彼は四学年を卒業した時、こう言う借りものの小説の中に「猟人日記」の英訳を見つけ、歓喜して読んだことを覚えている。
が、「教育上の責任」は常に彼等と人間同士の親しみを交える妨害をした。
それは彼等の好意を得ることにも何か彼等の権力に媚びる卑しさの潜んでいる為だった。
さもなければ彼等の同性愛に媚びる醜さの潜んでいる為だった。
彼は彼等の前へ出ると、どうしても自由に振舞われなかった。
のみならず時には不自然に巻煙草《まきたばこ》の箱へ手を出したり、立ち見をした芝居を吹聴したりした。
彼等は勿論この無作法を不遜の為と解釈した。
解釈するのも亦尤もだった。
彼は元来人好きのする生徒ではないのに違いなかった。
彼の筺底《きょうてい》の古写真は体と不吊合《ふつりあい》に頭の大きい、徒《いたず》らに目ばかり赫《かがや》かせた、病弱らしい少年を映している。
しかもこの顔色の悪い少年は絶えず毒を持った質問を投げつけ、人の好い教師を悩ませることを無上の愉快としているのだった!
信輔は試験のある度に学業はいつも高点だった。
が、所謂《いわゆる》操行点だけは一度も六点を上らなかった。
彼は6と言うアラビア数字に教員室中の冷笑を感じた。
実際又教師の操行点を楯《たて》に彼を嘲《あざけ》っているのは事実だった。
彼の成績はこの六点の為にいつも三番を越えなかった。
彼はこう言う復讐《ふくしゅう》を憎んだ。
こう言う復讐をする教師を憎んだ。
今も、――いや、今はいつのまにか当時の憎悪を忘れている。
中学は彼には悪夢だった。
けれども悪夢だったことは必しも不幸とは限らなかった。
彼はその為に少くとも孤独に堪える性情を生じた。
さもなければ彼の半生の步みは今日よりももっと苦しかったであろう。
彼は彼の夢みていたように何冊かの本の著者になった。
しかし彼に与えられたものは畢竟落寞《ひっきょうらくばく》とした孤独だった。
この孤独に安んじた今日、――或はこの孤独に安んずるより外に仕かたのないことを知った今日、二十年の昔をふり返って見れば、彼を苦しめた中学の校舎は寧《むし》ろ美しい薔薇色《ばらいろ》をした薄明りの中に横《よこた》わっている。
尤《もっと》もグラウンドのポプラアだけは不相変欝々《あいかわらずうつうつ》と茂った梢《こずえ》に寂しい風の音を宿しながら。
………
五 本
本に対する信輔の情熱は小学時代から始まっていた。
この情熱を彼に教えたものは父の本箱の底にあった帝国文庫本の水滸伝《すいこでん》だった。
頭ばかり大きい小学生は薄暗いランプの光のもとに何度も「水滸伝」を読み返した。
のみならず本を開かぬ時にも替[#レ]天行[#レ]道の旗や景陽岡の大虎や菜園子張青の梁《はり》に吊《つ》った人間の腿《もも》を想像した。
想像?
――しかしその想像は現実よりも一層現実的だった。
彼は又何度も木剣を提げ、干し菜をぶら下げた裏庭に「水滸伝」中の人物と、――一丈青|扈三娘《こさんじょう》や花和尚|魯智深《ろちしん》と格闘した。
この情熱は三十年間、絶えず彼を支配しつづけた。
彼は度たび本を前に夜を徹したことを覚えている。
いや、几上《きじょう》、車上、厠上《しじょう》、――時には路上にも熱心に本を読んだことを覚えている。
木剣は勿論《もちろん》「水滸伝」以来二度と彼の手に取られなかった。
が、彼は本の上に何度も笑ったり泣いたりした。
それは言わば転身だった。
本の中の人物に変ることだった。
彼は天竺《てんじく》の仏のように無数の過去生を通り抜けた。
イヴァン.カラマゾフを、ハムレットを、公爵アンドレエを、ドン.ジュアンを、メフィストフェレスを、ライネッケ狐を、――しかもそれ等の或ものは一時の転身には限らなかった。
現に或晚秋の午後、彼は小遣いを貰う為に年とった叔父を訪問した。
叔父は長州|萩《はぎ》の人だった。
彼はことさらに叔父の前に滔々《とうとう》と維新の大業を論じ、上は村田清風から下は山県有朋《やまがたありとも》に至る長州の人材を讃嘆《さんたん》した。
が、この虚偽の感激に充《み》ちた、顔色の蒼白《あおじろ》い高等学校の生徒は当時の大導寺信輔よりも寧ろ若いジュリアン.ソレル――「赤と黒」の主人公だった。
こう言う信輔は当然又あらゆるものを本の中に学んだ。
少くとも本に負う所の全然ないものは一つもなかった。
実際彼は人生を知る為に街頭の行人を眺めなかった。
寧ろ行人を眺める為に本の中の人生を知ろうとした。
それは或は人生を知るには迂遠《うえん》の策だったのかも知れなかった。
が、街頭の行人は彼には只《ただ》行人だった。
彼は彼等を知る為には、――彼等の愛を、彼等の憎悪を、彼等の虚栄心を知る為には本を読むより外はなかった。
本を、――殊に世紀末の欧羅巴《ヨーロッパ》の産んだ小説や戯曲を。
彼
- 配套讲稿:
如PPT文件的首页显示word图标,表示该PPT已包含配套word讲稿。双击word图标可打开word文档。
- 特殊限制:
部分文档作品中含有的国旗、国徽等图片,仅作为作品整体效果示例展示,禁止商用。设计者仅对作品中独创性部分享有著作权。
- 关 键 词:
- 大导寺信辅 半生